2015年08月
2015年08月29日
ブータンで急にお腹が空いたときは
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。今日も引き続き、食べ物のお話です
ブータン料理は唐辛子!のイメージがあるかもしれませんが、みなさんがブータンへ観光旅行でいらっしゃった時に、通常のお食事のメニューは、実は以外に食べやすいものが並びます。
(フォブジカ谷で宿泊した民家での観光客向けの夕食)
例えば、ご飯や焼きそば、蒸したり炒めた野菜、サラダ、豆のスープ、川海苔のスープ、そして唐辛子とチーズのエマダツィまたはそれにじゃがいもを加えたケワダツィ、きのこを入れたシャモダツィ、そして鶏肉・豚肉・牛肉のいづれかの煮込み料理などが並ぶことが多いです。
では地元の人は何を食べているのかとい言えば、このブログでも何度も登場しているローカル飯として、先ほどのエマダツィを筆頭に、
(オーダーが入ってから作り始めたローカルレストランのエマダツィ)
(トマト入りエマダツィ(奥)と乾燥牛肉と乾燥唐辛子の煮込み)
鶏肉・豚肉・牛肉のいづれかを唐辛子で煮込んだものや、
(骨付きポークリブの煮込み。当然、唐辛子も一緒です)
インドからの輸入の乾燥した魚なども人気です。観光客向けのメニューから大きくは変わりませんが、味付けは辛さが増すことになりますね。
突然お腹が空いて今すぐ何かを食べたいとき、レストランが見当たらないとき、すごく田舎の地方に行ったとき、ご飯と唐辛子のコンビネーションをちょっとお休みしたいとき・・・・
そんな時に役に立つのが、
(ハの町のメーンストリート。どの町にもジェネラルショップがあります)
ジェネラルショップや、バーと看板に出ているお店です。
町の中心にいればレストランはありますが、移動の途中、田舎で隔離されていたり、ちょっと町中心から外れた場所では食事ができるところは限られます。ジェネラル・ショップやバーには店中にイートイン・スペースが設けられていることが多いのです。
(パロの町ジェネラルショップの棚の商品)
ジェネラルショップには、クッキーやスナックなどのお菓子、牛乳、砂糖や紅茶、インスタントラーメンや小麦・乾燥豆、植物油などの食品に加え、洗剤やスポンジなどの台所用品、バッテリーなど日常の生活のちょっとした買い物に便利な品々が揃っています。
(ジェネラルショップの中)
お客さんも近所の方が多いです。
こういったジェネラルショップの多くのお店では、小スペースにイートイン・コーナーがあって、頼むとインスタントラーメンを作ってくれます。
これこそが、急にお腹が空いたときなどの救世主!!
インスタントラーメンも数種類あって自分が好きなものを選んで調理してもらえるのですが、私が思うもっともハズレがない味が、シンガポールの商品コカです。そして、このコカはだいたいどこにでも流通しているのです。
コカひとつ~!と頼むと、「卵はいれる?唐辛子は入れる?」とトッピングを聞いてくれます。
そして作ってくれたのがこちらの卵入りのコカ。
人参が入っていることが多いかな?ブータンの場合は汁が圧倒的に少な目のケースが多いです。このコカが私を救ってくれたことが何度もあります(笑) ブータンの手作り定食に比べたら健康的ではないだろうし、お米が大好き!なブータン人には「コカはおやつ程度だよ??」と思われていますが、これでいいの~~
更に、お店によっては無い時もあるけれど、ブータンのみんなに人気なのは、
唐辛子のフライ、通称チリチョップ。
こんなにビニール袋いっぱいに買っていく人もいます。
以前、私が仕事後に急に30分だけ飲みにいこう!と思い立ったときに立ち寄るのも、こういったジェネラルショップ兼バー。そのものすご~くローカルな雰囲気をご覧になりたい方は、こちらの「パロ・ゾンを眺めながら乾杯」をご覧ください これを見ると「飲みに行く」と言うよりも、日本にはない雰囲気に立ち寄ることで、お酒を飲むよりも気分転換をしている、という雰囲気がわかるかもしれません。
わざわざブータンに来て、輸入されたインスタントラーメンをブータン風にアレンジしたものを食べたい!と思う方はいらっしゃらないかもしれませんが、ブータンの人はこうやってアレンジするんだよ~、外から看板を見るとジェネラルショップって書いてある場所を多く見るけれど、中はこんな感じになっているんだよ~、そして私はこんなラーメンを食べています、というご紹介でした
:僕もちょっと食べてみたい
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2015年08月27日
お洒落カフェ発見!その10~Brioche cafe~
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。今日は、ブータンにも最近は増えてきた「お洒落カフェ」のシリーズです。
今回ご紹介する「Brioche cafe ブリオッシュ・カフェ」はパロに数年前からオープンしていたのですが、めっきりご無沙汰していたので久々に行ってみたら、店内がリニューアルされてパワーアップしていました。
ブリオッシュ・カフェの看板には、その名が示すようにフランスの菓子パンであるブリオッシュが描かれています。ロケーションはパロのメーンストリートに位置していて、
この写真↑の真ん中の紫色の矢印部分が、このカフェにあります。あれ、これって、、、
そう、
左側の黄色い矢印は、先日ご紹介したAuthentic Pizzaで、右側の黄色い矢印はCHAMPACA CAFE(ツァンパカ カフェ)なので、ちょうどその真ん中にあることになります。パロの町はブータンの中では大都市ではありますが、日本の田舎の商店街なみの大きさですので、このように密集することになります
このカフェのポイントというと、なんといってもケーキの種類の豊富さ!
実をいうと、現時点で私がパロのお店からケーキを買うとすると、選択肢は3つしかありません。そのいづれのお店も、この「お洒落カフェ発見」シリーズに登場しているのですが、久々に訪れたこのブリオッシュ・カフェの頑張りに感動しました
ショーケースにこんなにいっぱいにケーキが並ぶ様子を見たのは、もしかしたら初めてかも!?
この日は、ピーチ・タルトにピーチ・ケーキ、チーズケーキ、チョコレート・ケーキ、フルーツ・タルト、ココナッツ・ケーキ、そして、クロワッサンとチョコレート・クロワッサン、マカロン、ブラウニー、などが並んでいました。
ブータンでは、お店が新しく開店したときはたくさん商品があったのに、その後、作る人やオーナーが変わったりしてだんだんレベルが下がっていくことが多く、お店のクオリティの維持はとても難しいもので、このブログにはできるだけそういった変動が少ないお店を選んで紹介するようにしているのですが、今回のブリオッシュ・カフェは本当によく頑張っているな、と思いました。
もともと、ブータンの人が甘いものを食べる習慣がほとんどないことに加え、ケーキを作った後の日持ち日数を考えるとなかなか種類を常に豊富に揃えておくことって難しいと思うんですよね。
コーヒーもきちんと豆から挽いてくれる機会があって、ちゃんと豆の味が味わえるコーヒーを入れてくれます。
以前はイート・インのコーナーがなかったのですが、今は奥にある小スペースでいただけるようになっていて、
店内はおそらく30年以上前のブータンの懐かしい時代の写真の数々が展示されていて、見ているだけで胸がきゅんとします。
そんなタイムトリップ感を感じながら、ケーキをいただくひととき。
この日はアイスコーヒーと、ピーチ・タルトをいただきました。なぜかタルトは1.5倍サイズに切ってくれて温めて持ってきてくれました。ピーチが美味しい季節なんですよ。
このお店に来る前に、
シニア犬のフレディ君と水場で水遊びをしてからやってきたのでした。
ブータンでも桃は夏の食べ物ですし、水場で遊ぶのが快適な季節もやっぱり夏。日本と同様、夏真っ盛りのシーズンは少し過ぎたように感じる今日この頃ですが、今年の夏も楽しく過ごしています。
:いや~水浴びは気持ちがいいねぇ~
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2015年08月26日
地震後3か月のネパールに行ってきました~4~ ポカラ
こんにちは。クズザンポラー。いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今回も前回の続きで「ブータン・ダイアリー」番外編、この夏に8月6日から1週間ほどネパールに滞在した様子をお伝えします。
前回までにご紹介した写真には、未だ大地震の爪跡が残る部分も多くあり、それを見たみなさんは心が痛むこともあるかと思います。もちろん、大地震発生直後の4月末からの数週間の間は混乱もしていたでしょうし、建物などの倒壊の様子ももっと大きなまま残っていたと思います。
今回、ネパールを訪れて現地の多くの人に言われたことをまとめてみると、
「ゆっくりだけど、少しずつ平常に戻ってきているし、みんな頑張っている。2008年以降の民主化により変わった部分も多い。確かに地震が起きた時はすごく恐かったし、今もカトマンズでは余震もある。だけど、そこからまた日常に戻していかなくてはいけない。世界中の人たちは、地震の怖い映像ばかりをニュースで見たと思う。それは真実だけど、地震発生時だけではない、その後もネパールも見て欲しいんだ」
そうです!そうですね。
カトマンズ盆地にある世界遺産も大きく崩れたものもありますが、今月にはすべての世界遺産が再オープンしましたし、中国/ネパールの国境も道路の整備が終わり、再びオープンしたばかりです。
自分が暮らしていない国や地域であればあるほど、大きなニュースにならない限り、その後の様子は自ら追わないとなかなか情報が入ってこないものです。
私の今回のネパール滞在期間も少なくなって来ましたが、そんな気持ちでネパールの人がいるのであれば、さらに、有名な観光地であり地震の被害がほとんどなかったのにも関わらず観光客がめっきり減ってしまって困っているというネパール第二の都市ポカラに1泊2日で向かうことにしました。
ポカラまでは車で半日のドライブでも行けますが、国内線を使うとたったの30分です。
今回、私が乗ったのは、この↑イエティ・エアーです。トリブバン空港の国際線の隣に国内線のターミナルがあり
朝のフライト・チェックインカウンターの様子を見てみると、エベレスト街道への入り口となるルクラへのフライトも飛んでいました。↑ 支援物資か?と思ってみてみると、どうやら便器などもあって、おそらく秋のシーズンに向けてトレッキングの宿泊地の宿(山小屋)の修復や修理に使うのかな?!エベレスト街道の宿場町も準備を整えているのですね。
雄大なエベレストの山々を歩かずに大迫力で味わうことのできるマウンテンフライト、ヒマラヤ遊覧飛行も1日1便はこの時期でも早朝に飛ばしているそうです。
今回はエベレスト方面ではなく、アンナプルナ方面のポカラへ向けて出発です。
この区間のフライトは、天気が良ければガネッシュ・ヒマール、ランタン・リルン、マナスル三山、ヒマール・チュリ、アンナプルナ山群が見えます~ 普段、ブータンでも山はたくさん見える環境にいるのですが、やっぱり8千メートル級の山々が聳えるネパールは迫力があるのです!
(帰路ポカラ→カトマンズ間のフライトで眺めた緑眩しいポカラの町)
カトマンズの夏のシーズンは暑いと思われる方もいるでしょうが、標高が1500mほどあり、思ったより暑くはありません。ポカラは標高900mと少し低くなりますが、湖に囲まれ冬は温暖な気候の場所から、8千メートル級の山々を臨むことができるポカラは世界でも有数な景勝地と言えますね。
到着してみると、「お客さんがいないから乗って~」とフェワ湖のボート漕ぎの青年たちに声をかけられたり、雨季で水量が増し迫力満点の滝デヴィズ・フォールへ行ったり、近年有名になっているネパール・コーヒー農園があるベグナス湖方面にも行ってみました。
(湖に面し、とても素敵だったベグナス・リゾート。次は泊まりたいな~)
お昼は、ネパール定番の家庭料理・ダルバートを銅のお皿でいただきます。
「これから作るから待っていてね」と言われても、待ちます、待ちます。エベレスト・ビールを飲みながら待ちます。
そして、午後はこれからまさかのハイキング(笑) に誘われます。 ビール飲んだのに・・・・
雨季でも1泊すればきっと山が見えるから、どうしても見せたいんだという知人の心意気で、
車でカーレ(1,720m)まで行き、そこから歩いてオーストリアン・キャンプ(2,200m)へ。最近はホテルだけでなく車道の整備も進んだことを実感します。
ゆっくり歩きながら、
歩いて2時間程度で、丘の上まで登り切りました。今までこの場所には一つしか山小屋がなかったらしいのですが、アンナプルナ山群の絶景地ということで、新しい山小屋もできていました。
お部屋を見てみると、
食事も美味しくいただけましたし、風が吹いても、雨が降っても安心して泊まれる山小屋に感謝をしつつ、翌朝を迎え、早朝5時半頃に中庭に出てみました。
最初は真っ白で、何も見えない状況でしたが、少し待ってみると、
「絶対に山々を見せたい」と連れてきてくれた知人は、お天気模様にハラハラしていましたが、この時私はなんだか自信があって『大丈夫、きっと晴れるよ。もし、姿が見れなくてもまた来るから大丈夫』と言っていると、
見えたんですよ~~
アンナプルナ・サウス。
この二つを同時に、
見ることが出来た~~
冬に見ると、もっと麓まで雪をかぶり違った印象になりますが、夏の緑とこの雪山の美しさも素晴らしいです。
夏のネパールではヒルが出て雨ばっかりで山も見えない、なんていうイメージがあるかもしれませんが、ちゃんと場所を選べば楽しめますよ~この日は、昼間もちょくちょくポカラの町からもアンナプルナの山々も姿を見せてくれました。
帰り際、ヒルなんていないじゃん♪と思って山小屋から離れた矢先、
水牛のお顔におっきなヒルがいた・・・・
しかし、これは水牛が森林内部に入って餌を探してくるためで、私が歩いてきた道は村人も毎日通る場所で整備されているので、ヒルの姿は見ませんでした。
ポカラは、地形の問題で水害が出ることもありますが、4月の大地震で直接影響が出た場所はなさそうでした。もちろん今後、余震の影響を受けたり、地盤が緩んでいる可能性は否定はできません。少し落ち着くまで旅行は控えるというのも考え方の一つですが、今回私はとても楽しく過ごすことができました。
やっぱりもっとアンナプルナ山群も見たいし、エベレスト街道にも行きたいし、ジョムソムまで足を延ばしたいな、といろいろ思いを馳せたポカラの滞在になりました。
ネパールのみなさんも、少しずつでいいから心が落ち着いて、元気になるといいですね。出来る限り、その応援を続けていきたいと思います。
:ヒンドゥー教の祝福、ティカを額につけられた子犬だよ~
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2015年08月25日
地震後3か月のネパールに行ってきました~3~
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。今回も前回の続きで「ブータン・ダイアリー」番外編、この夏に8月6日から1週間ほどネパールに滞在した様子をお伝えしています。
5月の地震で甚大な被害が出たことが現時点でわかっているのは、首都カトマンズ郊外北部に位置するシンドパルチョーク郡とヌワコット郡、トレッキングで有名である風光明媚なランタン谷は村全体が埋まってしまったなどと聞いていました。今回は友人が数年前から支援をしていたカトマンズにある学校が引越しをするタイミングだったのでそのお手伝いをすること、そして他に何かできることがないかを探りながらのネパール訪問になりました。
地震発生直後にブータン政府は各会社などに呼びかけミーティングを行い、ブータンからネパールへの支援物資を集い、直行便のフライトに乗せて運びました。私の会社でもかなりの量の支援物資を揃えたのですが、すぐに必要な優先順位で選定した結果、フライトに乗せられず送りきれなかったものも残っています。
私が今回ネパールの学校に行くことを知った方たちから、子どもたちが明るくなるような学習用具などを好意で頂き、あの時の乗せきれなかった支援物資と共に持っていくことにしました。しかし、実際にパッキングをしてみると結構な量となり、飛行機の機内預け荷物の制限内20kgには収まらず、
追加料金を払わないといけないかな・・・・と覚悟をしていました。しかし、事前にドゥック航空へ手紙を書いて交渉をしてみると「支援物資なら追加費用がなくてもいいですよ、気をつけて行ってきてください」とお返事をいただきました。ありがとう!ドゥック航空~~
荷物の超過が出てしまうなら、ビジネスクラスを予約しようかとも考えていたのですが、
パロ/カトマンズ線のフライトは、プロペラ機でビジネスクラスの設定がもともと無い全エコノミークラスのフライトだと言うことを思い出し、
改めてドゥック航空が預け荷物の超過を許可してくださったことに感謝。
実際にネパールへ行けない場合、支援物資を郵送で送ることも考えていたのですが、出発前にネパール人の知人に確認をすると、援助物資を無税で通関できる特別措置期間はすでに終わってしまったため外国から援助物資を送ると、受け取り側が税金を払い、さらに受け取り作成のための書類に捺印をもらうために一日を費やすこともあるとのこと。
これでは、受け取り側が大きな団体や組織でない限りは負担にもなってしまいます。実際に訪れた後の感想ですが、現時点のカトマンズでは復興に必要な多くの物を購入できるので(防水シートや村で使う飲料タンク、トタン屋根、医療品、食べ物や衣料品など)現地で物資を買うことで、ネパール人の店主やそれらを受け取る村人たちにも双方にとって良いのではないかと思います。
(新しい家に引越しをしたOrganization of Community, Child and Environment Development の子どもたち)
(バクタプルにある学校。元の校舎は倒壊の危険があるため、仮設の教室にて)
「地震後3ヶ月が経過しても、毎日の生活が精一杯で困っている人達に義捐金や支援物資が届いて欲しい」と願いますが、自分の足で実際にそこまで行くのは山岳地方が多いネパールでは大変です。特に被害が甚大なシンドパルチョーク郡の村人の地区までは、四駆などで道路が続いている限界の場所まで移動後に歩いて2日間かかるようなところなのです。
そして実際に部外者の私が突然に村を訪れても、どこの家がどういう状況であったか、家族構成は、地震前の経済状態は、今までにどの程度支援物資を受け取っているのか、現在困っているのは何であるか、など背景も考慮しないといけません。
今回は知人の繋がりで、困っている多くの人へ継続的に支援を続けられるような信頼ができるグループに巡り会えたので、そこへも支援物資や義捐金を渡すことができました。
私はせっかくブータンから行ったので、ブータンからの留学生も多いボダナートの近くにあるシェチェン僧院へも訪れました。
(僧房の修理が終わったので、敷地内に張られたテントはもうすぐ折りたたむそう)
(本堂は内部入場ができないほど大きなダメージを受けていた)
地震が発生し、数日後にネパール人の知人から連絡をもらったとき、何が必要なのかを聞いたことがありました。その時の答えは「大丈夫、みんな不安もあるけれどなんとか暮らしていけている。でもちょっと元気が無い。特に何もいらないから、地震が落ち着いたらここに遊びに来て欲しい」と言われました。私は知人と10年以上前に数回しか会ったことしかなく、特に頻繁に連絡を取っていたわけでもありませんでした。
それでも「顔を見たらきっと元気になる」と思ってくれたこと、そして結果的にはその知人には今回は会うことができなかったのですが「来てくれてありがとう」と言葉をかけてくれたことに、私はとても満たされた気持ちになりました。
(瓦礫の中から芽生えた葉)
そして、さらに今回ネパールの人達にかけられた印象的な言葉がありました。
続きます。
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2015年08月24日
地震後3か月のネパールに行ってきました~2~
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。今回も前回の続きで「ブータン・ダイアリー」としては番外編になりますが、この夏に8月6日から1週間ほどネパールに滞在した際に実際に歩いて訪れた、地震後の様子をお伝えしています。
この日はカトマンズ盆地郊外、18kmほど離れたサクー(sankhu)の村へ訪れました(日本語にするとサンクー、サンクとも呼ばれます)。カトマンズ盆地周辺の村の中では、最も被害が大きくあった場所のひとつで、約130人の村人が建物の倒壊などで命を落としてしまいました。
サクー村は、サリナディ川に沿って扇状に広がる水田地帯でお米や小麦を作る農家が多く、私が訪れた8月には稲穂が実っていましたが、地震があった5月ころは小麦を作っていたそうです。
地震発生後、3ヶ月が過ぎ、村の若者達が集いグループを作り、瓦礫を片付けていました。
片付けると言っても、重機があるわけでもないので、ひとつひとつ手作業で行っています。
村の中心にあったヒンドゥー教寺院の敷地。ご本尊は無事で別の場所に移されたそうです。この村は歴史が深く、ネパールの伝統的な町並みが残っていましたが、地震で壊れた部分が多いようです。
これらの地震後の写真だけを見ると、建物の倒壊規模などの様子に悲壮感が漂うように感じるのですが、それでもここで今もなお人々には前向きなパワーがあって、実際に村の中を歩いてみてその雰囲気に圧倒されました。
瓦礫を片付けて、今まで通り商店を開けて、村の人々が集ったりおやつを買いに来たり、
若者達が率先してグループを作り、ご高齢の方の家や公共施設の場所を優先的に片付けていたり、
焦らず、悲観せずにひとつづつ手でレンガを積み上げる様子や、
お母さん達はバンバン洗濯もお料理も、壊れた家の横に立てたテントの中でパワフルに行われていました。
ネパールではもう十数年前から毎日のように計画停電が行われていたり、水を確保する習慣があったりと、地震後で不便な生活にも耐えられる環境に理解があります。不便に慣れている、という言い方が適当であるかはわかりませんが、こういった状況でも生きていくしかない、前を向いていくしかないという人々の芯の強さが垣間見えました。
サクー村の丘の上には、1655年にヒンドゥー教の王によって建てられたヴァジュラ・ヨギニ寺院があり、そこまで登ってみました。
壊れた部分はあったものの、少しずつ片付けられ、人々が集う場所になっていました。この寺院周辺も豊富な湧き水が流れていて、ここが豊かな水田地帯であることを証明していました。
このお寺は、チベットを統一した王・ソンツェンガンポとネパールからのお妃様が結婚式を挙げた場所としても知られ、この日もネパールの可愛らしいカップルに数組に出会いました。
ネパールの人達に話を聞くと、「本当はもっと大きな被害がでてもおかしくなかった地震だった」と言います。それでも地震が発生したのが土曜日だったこと(ネパールはヒンドゥー教を国教に長年定めていたため、現在でも週の休日は日曜日ではなく土曜日がお休みです)、お昼ご飯を食べてみんなが外に集う時間帯であったこと、地方の人は小麦の収穫をする寸前の時期だったから畑に出て収穫をして地震後も食糧を確保できた場所が多かったことなどを教えてくれました。
寺院を訪れると古い建築物は倒壊した場所が多いのですが、それを見ると「神様が身代わりになって必死にネパールの人を助けてくれたんだな」という気持ちになりました。
一歩一歩、手作業でも一つずつ片づけをしている村人の姿に、逆に力をもらった一日になりました。
続きます。
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