2016年01月

2016年01月30日

ブータンのドラッグ事情を考える~4~

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

このシリーズは、ブータンにおける薬物(ドラッグ)事情を私なりに考えてみるという、ちょっと重いテーマになっていますが、このお話は今回が最終回です。

今までに、過去に薬物に手を出して苦しんだことのあるA君、薬物使用をやめたが新たな環境に翻弄され、再び手を出してしまったB君の告白、禁煙国でタバコの販売はできないが裏では流通しているという事実、昔から自生する大麻のことを3回のシリーズでご紹介しました。

繰り返しになりますが、私は不安を煽りたいわけでも、ブータンの国のイメージを壊したいわけでも、もちろんありません。このお話は「そういった経験をした人もいる」のであり、ブータンの大多数の人の話でもありません。

ただ、もしかしたら「幸せな国といいつつ、裏ではドラッグも乱用されているし、ブータンが幸せの国だなってうわべだけもの」と思う方が増えてしまったら、私は違和感を感じてしまうので、A君やB君が話してくれたことを書こうと思いました。

10 (3)


ブータンという国が置かれた特殊な環境や独自の政策などを踏まえて、薬物問題やその背景にある現代的な問題も見えてきました。押し並べて考えてみると、

近代化を進めるブータンも他の国と同様に、発展途上の段階で発生する問題が起きている」ということです。

そこには問題の深刻度や、割合には違いはあり、押し並べてしまうのはちょっと乱暴かもしれませんが、でも、ブータンにもさまざま問題はあって、外国から言われるような「幸せな国」のイメージだけではありません。

10 (5)


大切なのは、問題が発生していることに対して、見えないふりをして臭い物に蓋をするのではなく、それをどうやってブータンらしく乗り越えていくか・解決をしていくのか、です。

目的を達成する過程において一時的にすぐ結果が伴わなかったり、ぱっと見た印象では状況が解決していないように見えるかもしれませんが、表面はブレても、その本質が変わらなければ私は良いと思うのです。

ここまでのシリーズで考えてみると、薬物依存を防ぐためには、

1「入手できないようにすること」
2「薬物の恐ろしさを知ること」
3「薬物依存に苦しむ人が、治療できる病院や相談・自助グループが増えること」


最後に、薬物依存に苦しんだ人を受け入れる社会であれば、依存症の過去を持つ人が社会に復帰して、再発の可能性を下げるであろうこと。

「入手できないようにすること」は、規制や取締まり、罰則を強化することで改善はするがいたちごっこでもあり、他国同様に完全に防ぐことはできない可能性が高いです。

「薬物の恐ろしさを知ること」は、薬物をはじめた理由が「興味本位で、よくわからなくて」という部分が大きく、さらに純粋でイノセントな人が多いブータンでは、薬物乱用がもたらす恐ろしさを教育することは特に大事です。「病院や相談・自助グループが増える」ことで、早い段階で依存から抜け出せる可能性が増えます。

10 (1)


そして、私が一番「ブータンならきっと大丈夫」と思うのが、「いろいろな人を受け入れる社会」が昔から地域で成り立っている点です。

例えば、成績が悪くて学校をドロップアウトしても、離婚を繰り返しても、お酒で酔っぱらって外で寝ちゃうことがあっても『仕方がないな~、まぁ、お茶でも飲んでいきなよ』と、世間に愛情があります。当の本人は傷つき泣いて苦しい状況でも、まわりの人がそれは一過性のもので、そんなに気にすることないと慰め、苦しい人を放っておかない。今、ここで生きていることを実感している。悪い所を見るのでなく、良い所を探し、排他的な社会ではない。

あいつはダメだ!と糾弾することはあまりなく、例えそう思っていても「あいつはXXはダメだけど、△△はできるしそこが良いところ」と言います。

5 (22)


第一回のお話にもありましたが、薬物依存の大きな敵は「孤独」を強く感じてしまうことだそうです。

一時的に強く孤独を感じることはあるかもしれないけれど、いつも周りの誰かが声をかけてくれること、気軽に話をできる人たちがいるのがブータンです。

私はブータンで彼女・彼らの態度から「私は孤独だ」と感じることはありません。おせっかいなくらい、まわりのことを見ているし、素直に声をかけます。

もし、今、薬物依存に苦しんでいる人がいたら「絶対に一人じゃない」と伝えたい。

今年から、私の職場では薬物依存の経験を持つ若者の職業訓練を受け入れることになりました。慣れるまでは大変なことがあるかもしれませんが、ここに来てくれることだけでも大きな第一歩。

陰ながら応援したいと思います。

そして、ブータンが自分たちの方法で、時間はかかっても問題を乗り越えていく未来を信じています。

:長い記事を読んでくれてありがとうございました(僕も代理でお礼をします~)

4 (11)


↓参加中です。ぽちっと応援していただけたら嬉しいです。タシデレ

人気ブログランキングへ



このエントリーをはてなブックマークに追加

2016年01月26日

ブータンのドラッグ事情を考える~3~B君のこと

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご訪問いただき、ありがとうございます。

今回は少し重いシリーズになっていますが、最後にはその中にも光が見えたという結末ですので、いつもとは違った暗いテーマですが、心配しないでくださいね。

専門外の私が難しいテーマを扱っているため、話の流れや内容がわかりにくい部分もあると思うので、このシリーズはできれば最初から続けてお読み下さい(第一回第二回はこちら)。このシリーズは「そういった経験をした人もいる」ことを書いているので、これがブータンの大多数の人の話であると捉えないでいただけることを願います。


■苦労して就職そして結婚、幸せを手にしたが離婚・・ 

B君は私の友人であるブータン女性の弟さんです。

彼は故郷からお姉さんの家族を頼って仕事を探すためにティンプーへ上京をし、その一時期、薬物に手を出したけれど、薬物乱用者がオーバードーズをする悲惨な姿を見て二度と手を出さないと誓ったそうです。そこから様々な苦労を重ね、日常生活を取り戻し、その後は就職も結婚もしました。

彼のお姉さんは毎月ピクニックを開催し、私もB君家族を含めた彼女の親戚たちと一緒に参加させてもらっていて、B君の過去を知らない私には、彼の姿はとても幸せそうに見えました。

しかし、婿入り先での家族間の問題が解決できず、夫婦間の問題は無かったにもかかわらず、結婚2年目に離婚しました。それは、彼の望んだ結果ではなかったそうです。

■西ブータンの結婚の特徴、離婚の条件 

西ブータンの慣習的には、男性が長女と結婚をすると婿に入ることが多く、土地や家などの財産も主に長女が継ぐ、または親と同居するきょうだいが多めに継ぎます。離婚の際の財産分与では、両家の話し合いで決めることがほとんどですが、結論を出すのが困難な場合は、地域の長である区長や村長に相談をすることもあります。裁判所は、あくまでも両家が出した結論に沿って、名義変更や婚姻解消の手続きを取ることが主な役割です。

子どもがいる場合は、母親が親権を得るケースがほとんどで、父親は子が18歳になるまで教育費を支払います。教育費は基本給に対して20%、子が一人以上の場合は更にその割合が増えます。

B君の場合は、夫婦共有の財産として買った車や土地も彼女側に譲り、彼にはそのローンが残りました。

■故郷に帰省をする 

辛い経験をした後のB君に会うと、私は少し違った印象を持つことがありました。見た目にもわかるくらい辛そうだったり、意外に落ち込んでいないように見えたり(他の女子からもたくさんお声がかかっているらしい、とか)、普段は穏やかな彼が急にアグレッシブになったり(話の途中で、突然反論を始めたり)、落ち着きがなかった(帽子を被ったり脱いだりを繰り返す)ことがありました。

しかし、B君と話す時間は毎回ほんの数十分であるし、一緒に居た友人も含め「今日はなんだかいつもとちょっと違ったね。でもまぁ、暫くの間は不安定でも仕方ないよね」と話すくらいで、あまり気に留めませんでした。

そんなB君が休暇で故郷に2週間ほど戻ると聞いたので、「田舎のご両親に、いつも私の好物をお姉さん経由でいただいて、お世話になっているのでよろしく伝えてね」と餞別を渡しました。ブータンでは、帰省時にはたくさんのお土産を持ちかえり(故郷のみんなもそれを期待している)、親類も多く何かと物入りです(別の知人は、お金がかかるから頻繁に故郷に帰れない!と言っています

私が餞別を渡した時に、B君は複雑な表情をしました。その表情は、今にも泣きだしそうで、強く握った紙幣はしわしわになるくらいで、私はなんとなく気まずくなってしまって、

この餞別はあなただけのものじゃないからね~。みんなにもお土産を持っていってあげて。そして、復路では地元の野菜を私にちょっとだけ買ってきてね」というものも、その時も彼は嬉しいような、でも泣きそうな表情でした。

5 (9)

(どんなお土産でも嬉しいけれど、お兄ちゃんお姉ちゃんと遊べるのが一番)

10 (5)

(お土産用?の大量購入客に、小さな店番さんもしっかり対応していた。町の商店にて)

■帰省後の変化
 

数週間後、B君が故郷から戻ると、相談があると言われ話を聞きました。

離婚後、どうしても悲しい気持ちがコントロールできなくて、またドラッグを使い始めた。強い薬は使うのが恐いから、SPのカプセルを使った。一回飲めば、5時間くらいはいい気分になれる。田舎に帰るときも持って行ったけど、最近は警察の取締りが厳しいから恐かった。バスに乗っている間、警官が来たらまずいと思って、すぐに捨てられるようにずっと手に握っていた。

実家についた後、お母さんだけは自分の異変に気付いたようで、カプセルを探したようだけれど、僕はわからないところに隠していた。でも何年かぶりに高齢のおばあちゃんに会って、姪っ子たちと遊んで、小さいころから自分を可愛がってくれているお坊さんに説法されて、そして依存していたかつての嫌な記憶がよみがえって、やっぱり二度と使ってはいけないと思った。

もう僕は、依存していた10代のころのように若くない。お金を稼ぐ大変さも仕事を通して知った。

だから、自分にけじめをつけるために、みんなに宣言をしようと思った。僕はこれから少しの間、離脱症状まではいかないけれど、体力的にも精神的にもコントロールが出来るように休養が必要だから、休みをもらおうと思っている。そして、クスリには、もう手を出さないと約束します。


私はこの話を聞いて、ちょっと前のB君の「今までとはちょっと違った様子」は薬物使用によるものだったのだと今更ながら合点があいました。

・SP(Spasmo-proxyvon) は、鎮痛剤として使われる合成オピオイドで青色のカプセル。インドでは8つで20ルピー(約11円)、ブータンでは200ルピー/ヌルタム(約110円)程度で密売されている。
・白色のカプセルはSPよりも作用が強くもっと攻撃的になる。その他にも、昔は咳止めとして使われていた液体状のものもあり、この3種類がブータンでは主流である。
こんなことや、入手のリスクなどを話してくれました。今まで新聞やニュースでしか聞かなかったことを初めて経験者から聞いて、

こんなに身体に精神に害のあるものが、そんなに安価に、予想以上に簡単に手に入ってしまうのか!ドラッグはもっと別の世界の話だと思っていた。若者は興味本位で簡単に手を出してしまうこともあるだろう、とショックを受けました。

私がインドに住んでいた8年前は、このような話はあまり聞きませんでした。単に私が疎かっただけかもしれませんが、今のブータンのようには盛んに取り上げられていなかった。ブータンの老舗新聞クエンセルのウェブで「drug」と検索すれば、関連の事件や予防啓蒙活動も昨年だけでも20件以上が上がってきます。

6 (9)

(長距離バスに揺られB君が見た峠はどんな風景だったかな)

4 (2)

警察犬たちも主に国境で活躍中ブータンで活躍する犬たち


私はどんな言葉をかけていいのかわからなくて、「よくこんな重大な決意を、特別に深い仲でもない私に話してくれたね。ありがとう」と言うと、、

あなたは餞別をくれました。それはお金としての価値だけでなかった。僕が今お金がないことや、僕と姉さんの両親を想ってくれている、そんな優しさもあった。でも僕はもらったお金を全部クスリに使って、すべてを裏切ってしまった。本当にごめんなさい。

これから姉さんにも話そうと思うけれど、家族に対しては感情的になって、上手に話せないときもある。今、あなたに話すことで、これから二度と手を出さないと誓い、勇気と強い気持ちを持てると思う。

********

ここからは、私の個人的な思いですが、

じ~~~~ん。。。。

餞別を渡したときのあの表情は、心でいろいろぐちゃぐちゃと葛藤していたからだったんだね。話してくれて、ありがとう。

B君だけではないけれど、ブータンの人はたまにこうやって、ものすごく素直に飾らない言葉で話してくれます。それは本来の彼女・彼らが持っている感情から湧き上がってくる真の言葉で、本当に純粋。

世間には世界中の何処でも、良いことではない、様々な落とし穴があるけれど、ブータンの人々が持つ純で粋な部分があるがゆえに陥ってしまうような、そんな社会にならないことを願う。

アルコールや薬物だけでなく、依存症になってしまう可能性は誰にでも、どんなものでもありえる。ショッピングだって、甘い食べ物だって、ネットサーフィン、ダイエットだって。

6 (5)

(どこにでも、何事にも光と影はある)

でも、グローバル化が進んだ現代の世界のなかでは、ブータンだけがおとぎ話のような国でいることはできない。だから、ブータンの人も自分で学び、判断していく力をつけていくしかないと思うし、そういった意味での教育や必要な正しい情報が得られる機会が増えて欲しい。

以前ご紹介したように、クエンセル新聞では薬物依存を特集記事で取り上げ、相談先を知らせています
( 2015年9月20日「どんな問題も、自傷行為やドラッグでは決して解決しない」、2015年5月2日「薬物依存、再発を繰り返す兄へ、私ができることはなんですか」、2015年6月3日「僕は25歳のインドに留学中の男子です。日々、不安でネガティブな気持ちに支配されます。どうしたらいいですか?」)

そして、B君が話してくれたような、何か「気づき」になるチャンス、誘惑や衝動が起きたときに気をそらす、家族でも知り合いでも話せそうな人が居る、何もわからないときに駆け込める場所がある、そんなことも大切なんだなと知りました。薬物乱用に苦しんでいる人には、病院や相談先としてYDF( Thimphu)やChithuen Pendhey( Thimphu and Paro)もあります。


あと一回だけ、続きます。


:僕の出番は、、、まだ、かなぁ~

14 (6)

↓参加中です。ぽちっと応援していただけたら嬉しいです。タシデレ


人気ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加

2016年01月23日

ブータンのドラッグ事情を考える~2~大麻とタバコ

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご訪問いただき、ありがとうございます。

少し重いテーマですが、最後は私には希望が見えたという結末のお話を書いています。途中から読むと事実関係がわかりにくい部分があるので、ぜひ前回から読んでみて下さい。

パロに来たことがある方は↓↓この写真の場所を、普通に通り過ぎているかもしれません。

3 (3)

ここは、空港やティンプーからパロの町のメーンストリートへ向かう途中の車道横の写真で、町の中心にあるアーチェリー場から徒歩1分で、歩道横はウゲン・ぺルリ宮殿の外壁があります。

夏の時期には柳の木が瑞々しく、その下には雑草が青々と茂っているのですがそれを良く見てみると、

3 (2)

これはなんだかお分かりになりますか?

これは麻の種類で南アジアに自生するカンナビスで、一般的に日本人がイメージする大麻であり、ブータン人もマリファナと呼びます。カンナビスの葉は乾燥させると麻薬成分を含み、もしこれを日本で所持をしていたら大麻取締法に違反します。

パロだけでなくて、
3 (1)

夏にプナカの河原まで散歩に出かけたときはこんなに大きく育った麻を発見。ブータン人も思わず記念写真を撮っていました

■ 自生する大麻

ブータンには種を持つ植物は5600以上の種類があり、そのうち伝統医薬として使われる薬草は300種類を超えます。ブータンが統一される以前は、チベット人はブータンのことを「薬草の国」と呼んでいたことより、千年以上前から豊かな植生があり、現在でも世界の中でも稀に見る生物多様性を保持している国です。

ブータンでは、昔から大麻が自生していて「乾燥させて煙を吸う」という習慣はありませんでした。大麻は日本にも自生している場所もあるし、繊維はかつて産業資源でしたね。ブータン人にとって大麻はどこにでもある雑草のようなもので、多くの人は「豚が好きな草」と認識するぐらいです。自生する大量の大麻を見た外国人の反応を見て、「はて?」と不思議そうな顔をする人もいます。

大麻には薬効成分カンナビノイドがあり、一部の外国で医療薬として使用されています。ブータンでは大麻を治療目的で伝統的に使用していたかはわからないのですが、、今度機会があったら伝統医療院の先生に聞いてみます。

そして、大麻をタバコと混ぜて煙を吸う発想は、慣習的にはブータンにはなかったもので外国(おそらくネパールやインド、ヒッピーが流行したときの流れ)の影響でしょう。それまでは、あくまで豚が好きな草だったのです。

ブータンは特定の条件を除き、いわゆるバックパッカーの自由旅行のスタイルでは滞在ができません。査証を取得するためには一定の公定料金を国へ支払う義務があるため、外国人が長期間旅行をするには非常に高額です。もし訪問の目的が「大麻が自生しているから」なのであれば、お金と時間を効果的に使うためにブータンではない違う国に行くでしょう。

なお純度の大麻を所持・販売した場合には、ブータンの法・Section 133により有罪になります。

■ 2004年に禁煙国になったブータン

ブータンは世界でもさきがけて2004年に禁煙国となり、「タバコの販売と公共の場での喫煙が違法」です。しかし、個人での持込であれば国籍に問わず、入国の際に200%の税金を支払えば規定量内での持込ができます。

タバコを販売してはいけない」「タバコを公共の場では吸ってはいけない」だけで、このルールを守ればブータン人でもタバコは堂々と吸えます。しかし実際の様子を観察してみると、このルールを守らない人々がいることがわかります。

タバコを吸っている人々の多くは、ブータンに住んでいなければ普通の愛煙家でしょう。しかし、ここでは「タバコを販売してはいけない=国内ではタバコが買えない」というルールがあります。彼らがタバコを吸いたい理由は、「ずっと吸っていたのに法律ができたからといってやめられない」「他国では嗜好品の扱いだし自分だって吸いたい」「単にタバコの味や吸っている時間が好き」といった理由が大半でしょう。しかし、タバコの購入には法律を犯すというリスクも伴っているのです。

そして、「国内でタバコが買えない」はずなのに、裏ルートでは手に入ってしまうという実情があり、タバコを闇で販売していた店主や流通を担うディーラーが逮捕されたというニュースも頻繁に見ます。

これらのことをまとめてみると、

・大麻は自然に自生しているが、ブータンの人々は麻薬成分を目的に使用をすることはなかった
・大麻は今でもごく身近な場所で、自生していることを多くの人々が知っている身近なもの
・ブータン旅行の公定料金の制度は、諸外国からの悪影響を防ぎ独自の文化の保護に繋がる部分がある
・ブータン国内ではタバコの販売は法律では禁止されているが、裏では流通者と購入者の存在がある

ということがわかります。

ブータンではタバコが「法律では禁止されているが、裏では流通させる側と購入者の存在がある」という部分は、”タバコ”を”化学物質のドラッグ”と置き換えても同じセオリーが成り立っています。


そして、国内では製造していないタバコや化学物質のドラッグをブータンに流通させるルートは、主に国境を接しているインドからなのです。

続きます。

:僕のいつものお散歩ルートにも、、いろんな草が生えているよね
16 (8)

↓参加中です。ぽちっと応援していただけたら嬉しいです。タシデレ


このエントリーをはてなブックマークに追加

2016年01月22日

ブータンのドラッグ事情を考える~1~

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご訪問いただき、ありがとうございます。

先日、改めて 『「幸福の国」ブータンで異変 広がる薬物汚染の実態』 という2015年9月28日のYahooニュースを読みました。それによると、「2015年の薬物事犯の逮捕者が2年前に比べて倍のペースで増え、若年の傾向もあり、その背景には若者の高い失業率がある」という内容でした。

これについて、数回に分けて書いてみたいと思います。

私は実際にブータンで暮らしてみて、

ブータンはどこもかしこもが桃源郷だ~」とは思わないし、

え~!ブータンって幸福の国とか国民総幸福とか言っているのに、ドラッグとかアル中なんて信じられない、見たくない」 とも思いません。

このブログではブータンという国が大自然にあふれ、伝統文化を重んじ、独自のユニークな習慣が多く残ること、そしてブータンの人々のおおらかで優しく情に厚い部分をたくさん書いてきました。

それは、本当に私の心を打つから書きたくなります。

今回は薬物という、重くて暗い話題ですが、決して不安を煽りたいわけではなく、この問題の中にもキラリとブータンらしい光を感じたので、今回もう一度考えてみようと思いました。私は専門家ではないので掘り下げたり詳しいことはわかりませんが、実際に私が感じる範囲で考えてみます。

このお話の最後は、闇の部分があっても私には希望が見えて感動をした、という結末なので心配しないで読んでくださいね。


さて、近代化を進めるブータンの現代問題は、その過程において都市部への人口集中、地方格差、就職難、対インド貿易赤字の問題、教育、衛生の問題など、他の途上国が抱える問題に直面しています。

ブータンで採用試験をする」の記事では、私がここで採用試験をする際の葛藤を書きました。

3 (1)

(↑美術学校で基礎のデザインを学ぶ学生の様子。本文とは関係がありません)

ブータンの人は、面接で質問にうまく答えられないときは、すご〜く困った顔をしたり、とても純粋な笑顔ではにかみます これをされると、個人的な想いでは採用にしてあげたくなるのですが、、、就職先も職種も限られるブータンではなかなか難しいです。雇用を探すだけでなく、若い世代が起業をしやすいような政策も政府は考えています。

BlogPaint

(履歴書をいつも持ち歩いている若者もいるのではないか?と思うこともしばしば)

前述のニュースにあるように、若年層の薬物問題は就職難と深い関係がある、というのは私もそうだと思います。農業で暮らしている人が人口全体の6~7割で、首都ティンプーに人口が集中する。社会全体が発展途上であるがゆえ、農業以外の職業・職種が少ないという現状からも失業率が上がる理由がわかります。

新しい時代を生き抜く、ブータンの幸せ」の過去記事では、

ブータンの自殺率は、2014年WHO(世界保健機関)発行「自殺を予防する 世界の優先課題」内の人口比による自殺者を見ると、全172カ国中ブータンは29位(日本は9位) であったことや、

ブータンの村で暮らす高齢者の3割以上がアルコール依存症であると思われる ということや、

実際に薬物依存で苦しんだ経験のある知人のA君と、回復した後の彼の活躍ぶりを書きました。

A君はインド留学中に、今までとは違う環境に馴染めず孤独を感じていた。友人に勧められ、軽い気持ちでドラッグをもらったことから使用が始まり、だんだん無気力になり、自分でもどうしていいのかわからなくなった。自分の性格は内向的で、嫌なことがあると思考が止まらなくなる。お酒もたばこも嫌い。ドラッグを使用すると、その嫌な気持ちを忘れられた。そしてハイになっては暴言を吐き、集中力を欠き、食事もままならず学校にも行かなくなり、心配した家族が来てブータンに連れて帰った。実家に戻りなんとかドラッグをやめたけれど、その後は多分depression (うつ病)みたいなもので、数年間は苦しかった。

この話を思い出して、もしかしたら、彼の感じた孤独は、私たちが感じる孤独とはちょっと違ったものなのかもしれない、と思いました。

日本で暮らすみなさんは驚くかもしれませんが、一人暮らしをしたり、個人の部屋で一人で寝ることを日常習慣としているブータン人は、今でもすごく少ないのです。

17
(少年僧の寝室。学校のドミトリーでもこのような二段ベットで、みんなと一緒に生活を共にする)


彼らは、家族や親戚(親戚として考えられている範囲はとても広い)と一緒に育ったり、通学の便利のため親戚の家に預けられることもかなりあります。

学校を卒業したり、就職をする年代になると、実家を離れ歳の近い親戚や友人と暮らしたり、若くして結婚をしたり、今度は年下の姪っ子や甥っ子、きょうだいの面倒を見るために一緒に暮らします。

かつての自分の幼少時代がそうであったように。

他の途上国と同じように稼ぎがある人が家族や親戚を養うことが当然だし、ブータンでは比較的近い年の親戚を「私のお兄さん」「私のお姉さん」と紹介することも多く、親戚と血縁家族との距離が少ないと言えます。また、血の繋がらない近所の人も家族同様の仲になることも珍しくはありません。同じ村出身=みんな家族のようなもの、という感覚です。

そんな環境で育っている彼らにとって、A君のように異国の慣れない生活環境の中、心が敏感な青春まっただなかのときに感じる孤独感は、今までとは全く違ったものなのでしょう。それが海外留学であろうと、地方から遠い親戚を頼り首都まで仕事を探しに来たのであろうと、彼らにとって初めて体験する大きな孤独です。

現代の日本にあるような「家で誰かと暮らして空間を共有はしているけれど、コミュニケーションが希薄で孤独を感じる」「誰とも分かち合えない」といったようなものとは、ちょっと違った孤独感なのかもしれません。

続きます。

:僕は、どこでも、誰とでも、不自然な体勢でだって眠ることができます!
10

↓参加中です。ぽちっと応援していただけたら嬉しいです。タシデレ

人気ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加

2016年01月20日

パロ谷に、2016年の初雪が降りました

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

日本の東京でも、先日に初雪がどかんと降ったようですが、パロやティンプー谷では今シーズン初めての積雪がありました!

昨年は、いつもはこのあたりでも積雪がある1~2月の時期に全く雪が降らず、ちょっと残念だったんです。雪が降れば湿度が上がって、この時期に発生しやすい火事の可能性が減るので降ってほしいという気持ちもありますが、何よりも雪景色のパロ谷が年に幾度かは見たい!のです。

だって、

16


とっても美しいのですもの~~

ブータンでは、毎年「シーズンで初雪が降ると公共機関はお休みになる習慣がある」のですが、本日も公共機関は休日になりました。

16 (9)


しかし、お休みにならない仕事もあるわけで、ドライバーさんは朝早くから車をお掃除していました。

16 (8)


私のいつもの出勤中の様子も、

16 (5)


いつもと違ってやっぱり雪化粧がきれい。

16 (7)


もちろん、フレディ君だってお年寄りですが犬は喜び庭駆け回るのです。

本日、タクツァン僧院へ行ってきた友人の写真を見てみると、

16 (2)


まるで、

16 (1)


雪山登山です!しかし、日本とブータンの雪の大きな違いは、ブータンは標高が高く日差しが強いため、たくさん雪が降っても、太陽が出ていればかなり大部分が溶けていくということです。

そういえば、私も、

16 (11)

(2014年雪が降った翌日、タクツァン僧院に登りました。雪だるまがかわいい

以前、積雪のある日にタクツァン僧院へ登った事があるのですが、登りよりも帰り道の方が、雪が溶けて登山道がドロドロになってそっちの方が雪よりも大変だった記憶があります。

16 (4)


これは、本日の午後1時のパロ・ゾンの写真。すでに雪の気配がないです。そして、近年は年々積雪量が減っているように感じます。

16 (10)

(2014年1月11日 ドゥゲ地区、遠くの雪山はチョモラリ山)

個人的に雪景色が見たい!というわがままですが、降るならやっぱり白銀に染まるくらい降ってほしいなぁ。ブータンらしい風景の一つだと思います。ブータンはヒマラヤ南部に位置するので、みなさんが思っているほど冬でも雪が降らない地域が多いんですよ。

16 (12)
(2013年2月17日 パロの町でシーズン2度目の降雪。自転車に乗れる??)

16 (13)

(2013年2月17日 パロの町で雪合戦、逃げろ~)

本日の積雪は、雪合戦をするまもなくあっという間に溶けていきました。それでも、やはり雪が降ると冬という四季を強く感じられて、ブータンってきれいだなと再認識した一日でした。

また、もう一回くらい降ってくれないかな~

:もうちょっとあそびたかったな~
BlogPaint

↓参加中です。ぽちっと応援していただけたら嬉しいです。タシデレ

人気ブログランキングへ


このエントリーをはてなブックマークに追加