2013年03月11日
福の島の子供たちへ・5
こんにちは。クズザンポラ―。
今日で、あの忘れることができない東日本大震災から2年を迎えました。2年間の道のりは人それぞれですが、大小はあれ、人生を左右する出来事であったことでしょう。
私も東日本大震災のこと、地元の福島県のことをよく考えますが、しかし上手に言葉にできないことが多いのですが、今年は「ブータンでもできること」「ブータンだからできること」を探して実行したいと心に決めました(こちら)。
それでも迷い、答えが探せないことも多く、そんな時はできる限り、頭ではなくて体を動かしてみます。
この写真は、今年になってから訪れた福島県双葉郡楢葉町にある天神岬公園。学問の神様を祀るこの神社は、受験生が訪れます。私も高校受験の時にももちろん、毎年ここに来て凧あげをしていました。この高台から臨むのは、海と東京電力・広野火力発電所です。福島第一原子力発電所は廃炉作業中、福島第二原子力発電所は運転停止中であり、この火力発電所は今まで以上に稼働しています。
公園内に停まっているのは、除染をするためのトラックです。天然温泉として親しまれていた「しおかぜ荘」は、現在は除染作業に励まれる方の宿として活躍しています。
芝生のあったテニスコートは、現在は除染後に処理が必要となった廃棄物を一時的に置いています。
一時帰宅も以前より手間が省かれ、住民の負担も減りました。今までにも福島県の様子を書いてきましたが、写真をみても記憶を蘇らせてみても、町に人が暮らしていない姿は不自然ではあるけれど、それでも少しずつ道路整い、除染が始まり、家屋が火災で焼けることなく守られ、新しくバイオエタノール燃料の実験が始められたり、立ち入り可能な場所が増え、動物を保護する方がいたり、私の見えない所で誰かがその勤めをしてくれている、未来に向けての歩みの軌跡があります。
「ブータンの人がいかに、東日本大震災を自分の事のように受け止め、一緒に気持を分かち合おうとしてくれたかを伝えることは、元気づけることにもなるんだよ」
「渦中にいるとわからないことが、外からわかることもある。外から引っ張る力も必要なんだ」
復興に向けての現場にいる人から発せられる言葉に、私は何と応えればいいのかわかりません。
それでも、身をもって感じることがあります。未だに慣れない雪の多い仮設住宅に行くと
「ブータンさいるんだって?すごいねぇ。一度でいいがら行ってみたいべなぁ~」と声をかけられます。
王様が来日して以来、一気に知名度があがったブータンは、そのクリーンなイメージで人々に明るい希望を与えてくれるようです。心の中では、「ブータンにいることがすごいことなんてことは全くなく、こうやって制限のある暮らしを続けているじいちゃん、ばあちゃんの方がずっとすごい」と思いますが、
『いつでも良いから来たらいいべぇ。連れてってやっど~』と答えることにしています。本当に来てもらいたいと思うし、ブータンでなくても、他の場所でも、旅行じゃなくても、気持が晴れたり、楽しく感じることが増えて欲しい。仮設にある多くの催しものは元気の源にもなっているのだろうし、借り上げ住宅や新たに引越し、生活を始めた方達にも、一人ではないことを感じてもらいたい。そう、ブータンみたいに。誰かが困っていたら、自分は幸せにはなれないと断言する、ブータンの人みたいに。
今日は、ブータンで最も古いお寺の一つキチュ・ラカンへお参りし、100個のバターランプを灯明として灯して来ました。亡くなられた15,581人の方に、まだ行方不明である2,668人の方に、いまもまだ苦しみの中にいる方達が、少しでも気持が晴れる時間が多くありますように。
ブータンからも、祈っています。私も、私自身の東日本大震災からの3年目を歩み始めます。
今日で、あの忘れることができない東日本大震災から2年を迎えました。2年間の道のりは人それぞれですが、大小はあれ、人生を左右する出来事であったことでしょう。
私も東日本大震災のこと、地元の福島県のことをよく考えますが、しかし上手に言葉にできないことが多いのですが、今年は「ブータンでもできること」「ブータンだからできること」を探して実行したいと心に決めました(こちら)。
それでも迷い、答えが探せないことも多く、そんな時はできる限り、頭ではなくて体を動かしてみます。
この写真は、今年になってから訪れた福島県双葉郡楢葉町にある天神岬公園。学問の神様を祀るこの神社は、受験生が訪れます。私も高校受験の時にももちろん、毎年ここに来て凧あげをしていました。この高台から臨むのは、海と東京電力・広野火力発電所です。福島第一原子力発電所は廃炉作業中、福島第二原子力発電所は運転停止中であり、この火力発電所は今まで以上に稼働しています。
公園内に停まっているのは、除染をするためのトラックです。天然温泉として親しまれていた「しおかぜ荘」は、現在は除染作業に励まれる方の宿として活躍しています。
芝生のあったテニスコートは、現在は除染後に処理が必要となった廃棄物を一時的に置いています。
一時帰宅も以前より手間が省かれ、住民の負担も減りました。今までにも福島県の様子を書いてきましたが、写真をみても記憶を蘇らせてみても、町に人が暮らしていない姿は不自然ではあるけれど、それでも少しずつ道路整い、除染が始まり、家屋が火災で焼けることなく守られ、新しくバイオエタノール燃料の実験が始められたり、立ち入り可能な場所が増え、動物を保護する方がいたり、私の見えない所で誰かがその勤めをしてくれている、未来に向けての歩みの軌跡があります。
福島県内では、原子力発電所の影響で避難をしている人、それを受け入れる側の人、それぞれの苦悩があることを感じます。被害の大きかった岩手県、宮城県、福島県、またその他の県でも、問題解決に向けてそれぞれの困難と痛みが伴い、時間が経つほど回復しにくいこともあるでしょう。
私は自分に何ができるのかを問う日々ですが、友人達の言葉に助けられます。
「今すぐ帰ってこなくてもいい、帰ることだけが全てじゃない」
私は自分に何ができるのかを問う日々ですが、友人達の言葉に助けられます。
「今すぐ帰ってこなくてもいい、帰ることだけが全てじゃない」
「ブータンの人がいかに、東日本大震災を自分の事のように受け止め、一緒に気持を分かち合おうとしてくれたかを伝えることは、元気づけることにもなるんだよ」
「渦中にいるとわからないことが、外からわかることもある。外から引っ張る力も必要なんだ」
復興に向けての現場にいる人から発せられる言葉に、私は何と応えればいいのかわかりません。
それでも、身をもって感じることがあります。未だに慣れない雪の多い仮設住宅に行くと
「ブータンさいるんだって?すごいねぇ。一度でいいがら行ってみたいべなぁ~」と声をかけられます。
王様が来日して以来、一気に知名度があがったブータンは、そのクリーンなイメージで人々に明るい希望を与えてくれるようです。心の中では、「ブータンにいることがすごいことなんてことは全くなく、こうやって制限のある暮らしを続けているじいちゃん、ばあちゃんの方がずっとすごい」と思いますが、
『いつでも良いから来たらいいべぇ。連れてってやっど~』と答えることにしています。本当に来てもらいたいと思うし、ブータンでなくても、他の場所でも、旅行じゃなくても、気持が晴れたり、楽しく感じることが増えて欲しい。仮設にある多くの催しものは元気の源にもなっているのだろうし、借り上げ住宅や新たに引越し、生活を始めた方達にも、一人ではないことを感じてもらいたい。そう、ブータンみたいに。誰かが困っていたら、自分は幸せにはなれないと断言する、ブータンの人みたいに。
今日は、ブータンで最も古いお寺の一つキチュ・ラカンへお参りし、100個のバターランプを灯明として灯して来ました。亡くなられた15,581人の方に、まだ行方不明である2,668人の方に、いまもまだ苦しみの中にいる方達が、少しでも気持が晴れる時間が多くありますように。
ブータンからも、祈っています。私も、私自身の東日本大震災からの3年目を歩み始めます。
- ブログネタ:
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この記事へのコメント
1. Posted by tack 2013年03月11日 23:57
もう2年だね。
被災された方が、心から幸せだって感じられる日が増えるといいな。
心の中の重いものが軽くなるといいな。
被災された方が、心から幸せだって感じられる日が増えるといいな。
心の中の重いものが軽くなるといいな。
2. Posted by ポン太 2013年03月12日 00:08
時間では測れないけれど、何かきっかけがあるといいよね。
そのきっかけも、ひょんなことから始まることもある、と思っています。
そのきっかけも、ひょんなことから始まることもある、と思っています。
3. Posted by ちえみの母 2013年03月15日 15:22
二年ですね!私に出来ることは、みなさんか゛一日でも早く生きていてよかった。と思える時が来るのを祈るだけです。
4. Posted by ポン太 2013年03月16日 23:12
ちえみの母さん様
本当にそうですね。今も心が癒えない人はたくさんいらっしゃると思いますが、少しずつ冬から春が訪れるように、苦しみが和らいで欲しいと願います。
本当にそうですね。今も心が癒えない人はたくさんいらっしゃると思いますが、少しずつ冬から春が訪れるように、苦しみが和らいで欲しいと願います。