ゾン
2017年11月06日
勝利の古城ドゥゲ・ゾン~修復中~
こんにちは。クズザンポラー。
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昨日、パロ谷のドゥゲ・ゾンを訪れました。
このブログでドゥゲ・ゾンを最初にご紹介したのは2010年11月、その際に「パロ谷の観光は見所がたくさんあるのですが、ガイドブックや旅行会社の日程に入る有名な場所として、1.タクツァン僧院 2.パロ・ゾン 3.タ・ゾン(国立博物館) 4.キチュ・ラカン 5.ドゥゲ・ゾン この5つは外せない名所」 と書きましたが、今も変わらず人気の名所です。
ドゥゲ・ゾンはパロの街より北に15キロ強。車で30分位の距離で、天気がよけれはチョモラリ山がのぞめます。
この写真は2010年に撮影したものです。城壁があり、その上に一段と高い建物がありますが、この建物はゾン(城)の中でもウツェと呼ばれる最も高い建物になります。ドゥゲ・ゾンが他のゾンと違って古城のように見えるのは、1951年に火災で焼け落ち、その後に完全な形に戻す修復はしてきませんでした。廃墟のゾンとして保存することも建築の詳細や文化価値を残すことに必要であるという意見もあったためです。
今回、焼け落ちる前のゾンの写真をこちらのブータン内務文化省の資料から見つけました。私も初めて見たのですが立派なゾンであったことがわかります。
廃墟のゾンであったため、ブータン国内のゾンを訪問するときに義務付けられている正装の必要はなかったり、地元の人々がピクニックをしたり、また
ここで民族舞踊の踊りが見られることもあったり、比較的気軽に訪れることができる場所でした。さらには、ここで特別な写真撮影をした方もいました。特別って・・・どんな様子かというと、ウェディングドレスで撮影。他の寺院やゾン(城)では、まずこのような撮影はできません。そして2011年9月にインド・シッキムであった地震の影響で、国立博物館とこのドゥゲ・ゾンは一部が崩れ落ちた部分もありましたが、ドゥゲ・ゾンは比較的早く修復が終わり、また国立博物館は現在も修復が進んでいます。
そう、ドゥゲ・ゾンは廃墟であっても人々に親しみがあるゾンです。
そして2016年にこのドゥゲ・ゾンが本格的に修復が始まると発表されました。それはこの年が「今から400年前、ブータンを統一するために」、南チベットのラルン地方出身のシャブドゥンが、群雄割拠状態であったブータン国内を統一して400年目であることを祝うため、また皇太子様がご生誕されたことなど、様々な理由で修復されることが決まりました。
このニュースを聞いてからは、ドゥゲ・ゾンを訪れていなかったので久々に足を運びました。おお~
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2015年11月09日
パロ・ゾンにて、阿弥陀仏の大タンカご開帳
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
本日はパロ・ゾン(城)にて、阿弥陀仏の大タンカ(大掛軸)がご開帳となりました。この阿弥陀仏の大タンカは2012年から公開されるようになった新しいもので、毎年この時期に1日限定で、一般の人々にもお披露目がされるようになりました。
ブータンでは大タンカをトンドルと呼びますが、その言葉の意味は「見るだけで解脱ができる」という尊いものです。
阿弥陀仏のことはチベット語で「ツェパメ」と言いますが、ツェパメは無量寿仏であり、ツェは「寿命」、パメは「無限」を意味します。サンスクリット語ではアミタユース、日本では阿弥陀仏として浄土信仰となる仏様で、日本でも馴染みのある尊格ですね。線の端に当たりやハズレを書いて各自が引き当てる「あみだくじ」の”あみだ”はサンスクリット語で、実はこの阿弥陀如来に由来があります。
あみだっくじ~♪ なんて歌いながらくじを選ぶときがありますが、なんだか恐れ多いですね(笑)
阿弥陀様は仏画では赤色で描かれますが、本日ご開帳された大タンカでも、
お姿は赤い色でした。トンドル(大タンカ)を簡単に日本語で表現すれば巨大なタペストリーで、大きな布地にアップリケや刺繍などが施されています。
毎年春に行われる、パロ・ツェチュ祭ではブータン国内では最も古いと言われるグル・リンポチェの大タンカがご開帳されますが、強い日差しに当てて大タンカにダメージを与えないようにと早朝の時間帯だけに掲げます。満月の夜、ゾンから大タンカを運び出していく様子はこちらの記事でご紹介していますので、ご興味のある方はご覧ください。
しかし、この阿弥陀仏の大タンカは新しいものだからなのか、朝からお昼過ぎまでお披露目がされました。
パロ・ゾンの広場で、太陽の光がさんさんと射す中で大タンカを見るのは初めてだったので、なぜだかちょっと遠慮がちに参拝してしまいました。
(2015年、パロ・ツェチュ最終日の早朝の様子。大タンカの前まで参拝するために列に並ぶ)
↑この写真のような風景の方が見慣れているので、なぜだか自分でもわからないのですが、なんだか明るい日差しの元、直視しすぎてはいけないような気持ちになってしまったのです
11月11日の第四代国王陛下の60歳の記念するお誕生日をお祝いするために、本日から3日間は国内ほぼ全域で祝日となっているため、本日はパロ・ゾンにも多くの学生達がこのトンドルを参拝に来ていました。ゾンに入場するときは、お祭りのときであろうが、このように大タンカがご開帳しようがされまいが、ブータン人は常に正装をします。男性はカムニ、女性はラチュと呼ばれるスカーフのような布をまとい、男性は革靴を履きます。
3年前の写真を見てみると、この阿弥陀仏の大タンカをパロ・ゾンに家族で参拝するために、
朝からお母さんに髪の毛を洗ってもらって、民族衣装のキラを着せてもらっている女の子の写真がでてきました。
この女の子のことは、過去記事の「ブータンの子供のお風呂事情」で書いたのですが、こういったハレの日には大人も子どもも正装をしお洒落をして出かけますが、蛇口をひねって簡単にお湯が出てくるお家はブータンにはまだまだ少なく、彼らにとってのハレの日は私が思っている以上に準備をするにも手間隙がかかり、それだからこそ余計に大切な日なんだな、と思います。
ブータンの暦を元に本日この大タンカがご開帳されたわけですが、たまたまとは言え11日の第四代国王陛下のお誕生日の前となりました。「無量寿仏」の名の通り、より健康で長生きを願うにはとても良いタイミングでのご開帳となりました。
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2015年05月01日
国立博物館へのハイキング
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご訪問いただきありがとうございます。
明日でネパールの大震災発生から1週間となり、続報が気になりますが、今日もブータンの話題です。
ブータンに住んでいても、やはり近隣国であり、何度か訪れたことがあるネパールでのこの災害は他人事のように思えず、気を揉んでも仕方がないのですが、どうしても落ち着きません。
私はブータンで設立されたBhutan4Nepalの活動を応援しているのですが、ネパールが落ち着きを取り戻したら、実際に微量でも自分で力になれることをしようと考えています。
さて、どうしても気持ちが落ち着かないこういう時は、ブータン人であればまずお寺に参拝し、バターランプを灯し、祈りと供物を捧げるのが普通です。私もそれに習うことも多いのですが、さらに私は気持ちを改めるため、散歩兼簡単なハイキングをしながら、歩いてパロ・ゾン(城)へお参りすることにしました。
いつもは、見上げる形で見ることが多いパロ・ゾンですが、
こうやって森林の中を歩きながら、上からパロ・ゾンとパロの町を見下ろす風景もすてきですよね。パロ・ゾンの後ろに続くのはパロの町並みと、パロ・チュ(川)が流れて、この谷の地形がわかります。
そうこうしていると、ドゥック航空の航空機が飛んでいきました。パロの空港への離発着は、有視界飛行でしか行えないため「世界で一番難しい空港」とも言われますが、この地形を見るとわかりますね。標高も高いですし、滑走路も短いのですが、離発着の事故を起こしたことがないのです
いくつか小高い丘を通り越すと、
さらにパロ・ゾンが近づいてきます。こうやってみると、やっぱり巨大な建築物です。
ちなみにこの風景は、7・8月の夏のシーズンには、
田んぼに稲が生き生きと育って、新緑のグラデーションが大変美しい風景になるんですよ~。このトレイルは、途中でパロ・ゾンに降りていくことも出来ますし、そのまま道なりに歩いていくと最終的にはパロの国立博物館に到着します。
今まではパロ・ゾンの見張り塔として使われていた、円形の建物タ・ゾンが国立博物館として利用されていましたが、その後の2011年9月に発生したインド・シッキムでの地震でダメージを受けました(その時の様子はこちら)。現在では、隣接する建物に展示品の一部を移動し、タ・ゾンを修復しています。
↑ この写真は昨年撮影したものですが、レンガが崩れ落ちているのがわかります。来年あたりには、修復が終わるかもしれません。
この後、ブータンで最も古いお寺の一つといわれるキチュ・ラカンへ参拝し、バターランプをお供えしました。
ブータン人のお母さん達の手には、数珠が握られていますが、お寺の周りではよく見る後継です。
午後には、またドゥック航空が飛んできました。ブータンからはネパールに飲料水や食糧を毎日のフライトで輸送していますが、早く多くの人に届いて欲しいです。
飛行機の音が苦手で、お母さんの後ろに隠れる小さなお友達、ジィツゥンちゃん。そして帰り道に出会ったのは、
パロ・ゾンを背景に、壁の上で日向ぼっこしている4匹のわんこたち みんな同じ色~~~。お友達ですか?親戚ですか??そしてみんな同じ方向を向いているのもなんだかおかしいですね
自然の中をハイキングして、寺院参拝して、ブータンの街行く人に出会い、最後にこのわんこたちの顔を見て、なんだかやっと心落ち着いた一日でした。
みなさんも緑の美しい季節、ゴールデンウィークを満喫なさってくださいね。
:国立博物館へのトレイルはゴミ拾いをしたこともあるよ~
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2012年02月22日
シェムガンからティンティビへ
本日も、南部ブータン・シェムガン(ZHEMGANG)県のご紹介です。夜が明けて、朝、町の中心にあるシェムガン・ゾンへ出かけてみました(『ゾン』についてはこちら)。
この日は、2月後半に行われる現国王の誕生日のお祝いのため、準備中でした。もともとほとんど観光客が訪れないゾンのため、写真は撮影可能な場所が限られています。
シェムガン・ゾンが建設される前、12世紀にチベットからやってきたドゥック派の高僧(Lam Zhang )がこの地で仏教を伝えていました。高僧が亡くなられた後、記念としてこの場所に小さなお寺が建てられ、その後、1655年ころに現在の形の姿となるゾンが建設されました。ゾンの中は、大きく分けて6つのエリアに分けられますが、最も重要なのは守護尊を祀るゴンカンで、12世紀の高僧(Lam Zhang )自身によってこのお堂が建設されたと言われています。とても強いパワーがあることを、ひしひしと感じるお堂でした。
ゾンから眺めた、シェムガンの町。
同じくゾンから眺めた町とは反対側の風景。細かい棚田が丁寧に守られ、耕作されています。
ゾンの中には、小坊主さんもいました。お部屋の前をのぞいてみると、手書きで英文が書かれたノートが貼られていました。お寺で習う言語はゾンカ語ですが、中学や高校まで親元で暮らした後、出家されるお坊さんも珍しくありません(「ブータンの王様とジェイ・ケンポ」)。小さなころからお寺に入ったお坊さんは、学校で英語を習う機会がないので、このように各お寺でメインの科目以外として勉強しています。
例文を見てみると、
There are one Mango. うん、マンゴーが出てくるのが日本とは違うね。
Dog is domestic a animal. Elephant is a wild animal. うん、犬は町にいるし、象は野生動物だね。
そして、
I like eating Ema-datsue. 『私はエマダツィが好きです』。
そうかぁ~やっぱり、唐辛子料理・エマダツィはここでこうやって例文に登場するくらい、人気なのね やはり、ブータン人のソウルフード。例文を見ながら、しみじみと実感しました。
ゾンを後にして、インドとの国境を接するゲレフ(Gelephu)・サルパン県へ向けて向けて出発です。
少し離れて見てみると、シェムガンの町は尾根状に形成されている、ということが良くわかります。中央ブータンのトンサからシェムガンまで車で移動してきた際、シェムガンへ向かって南下しているので、てっきりもっと暖かくなると思っていたのですが、トンサとシェムガンはほとんど標高が同じ(約2,000m)のため、気候は大きくは変わりません。
この日は、シェムガン(約2,000m)からゲレフ(約280m)までの133kmの道のりをドライブです。もちろん、ここはブータンなので単に下り道ばかりという訳にはいかず、山道を上がったり下ったりするドライブです。
途中、チョルテン(仏塔)<ドゥトゥル・ナムゲカンザン・チョルテン>へお参りをしたり、野鳥を探しながらの移動です。シェムガンは「バードウォッチングの聖地」と呼ばれるだけあり、バードウォッチングのためにトレッキングをする観光客もいます。
2月半ばですが、標高1,600m前後のエリアでは石楠花が開花していました。鳥たちも心弾む季節ですね。
何度見てもヒマラヤのシャクナゲは大木だなぁ、と見とれていたら、近くの木が揺れているのに気付きました。
あれ。
あれ、あれ。
これは、、、絶滅危惧種のゴールデン・ラングールモンキー(trachypithecus geei)です。ゴールデン・ラングールは、インドのアッサム地域とこのシェムガンのみに生息しています。
やっぱり、シルバーのラングールとは違う!!と興奮していると、隣から何やら威嚇の声。
赤毛のお猿さんでした。
ごめんね、日本で見るお猿さんと似ているからといって、あなた達を無視してゴールデン・ラングールに夢中になっていたわけではないのよ。
国境の町、ゲレフまでのドライブは始まったばかりです。続きます。
2012年02月14日
交通の要衝 トンサ・ゾン
さて、前回は『トンサから南のゲレフへ向かいます』と宣言したものの、あれ「やっぱりトンサももう少し紹介した方がいいのなぁ」と思い、今回はトンサにあるゾン(城)、トンサ・ゾンをご紹介します。
まず、首都ティンプー方面からトンサへ向かう場合のルートを見てみましょう。
現在はガイドブックやブータン観光局のパンフレットでも「中央ブータン」と分類されていますが、昔は、西から東に向かってウォンディポダンの先の峠ペレ・ラ(3,360m)を超えると「東ブータン」と呼んでいました。中央ブータンという呼び名はなく、西と東のみ。そして、この峠はブータンを東西にわけるポイントでした。
このペレ・ラを通り、フォブジカ谷への分岐点を通過し、川海苔で有名なニカ・チュを通過すると、ブラックマウンテンと呼ばれる山々が見えます。そして、チェンデブジ・チョルテン(仏塔)を通過すると、マンデ・チュ(川)が見えてきます。この川に沿って走るとトンサの町に到着します。トンサは、昔から、東西と南をつなぐ交通の要衝として知られていました。トンサ自体は、標高が2,000m程度で、パロ・ティンプーよりも温暖な気候です。
ブータンで最も大きなゾンは、このトンサ・ゾンです。↑こちらは、朝に撮影した写真。
違う角度から撮った午後の光を浴びるトンサ・ゾン。トンサ・ゾンの駐車場の近く、ゾンへと向かう橋の前に弓道場があり(写真下・左)、仕事が終わった後、国技アーチェリーを楽しむ人たちの姿が見られました。
→トンサ・ゾンへの入口へ向かう途中に堂々と聳える国木・糸杉。
パロのキチュ・ラカンの敷地内にあるものも立派ですが、こちらのほうがより迫力があります。たくましい糸杉を惚れ惚れと見ながら、ゾンの中へと向かっていきます。
トンサ・ゾンは1648年に建てられ、中央・東ブータンへの支配力を表す象徴でもありました。現王家、ウォンチュック家と縁があり、初代国王と第二代国王はこのトンサを基盤とし、国内の基盤を整えていきました。「近代ブータンの父」と称せられる第三代国王はここで誕生されました。
その後、第四代、第五代の現国王も含め、国王になる前には必ずトンサ・ペンロップの役目を果たすしきたりがあります。ペンロップとは地方長官のような役職ですが、昔はトンサ地方のペンロップは峠ペレ・ラより東の広大な地域を司る国にとって重要な立場でした。今もなおその慣習が残り、現国王も2004年にトンサ・ペンロップの役職に就き、その後、国王となられました。
そのような意味でも、トンサ、そしてトンサ・ゾンは重要な場所です。
回廊を歩き、トンサ・ゾンへ。この回廊ですが、天井を見上げると木に描かれた曼荼羅が残っています。ここを歩く時には、マニ車を回すだけでなく、天井も仰ぎ見て下さい。
まず、最初にお坊さんのいるエリアに行きました。マニ車を回し、そして、六道輪廻の図を見て心を引き締め、内部に入場します。
堂内をいくつか参拝し、お坊さんの姿も良く見受けられました。トンサ・ゾンは面積の大きなゾンですが、建物の下部、石造りのところが多く、他のゾンに比べて高い印象は受けませんが、谷の地形に沿い、どっしりと構えた姿が印象的です。
さて、お坊さんのゾーンから、県庁としての役割を果たすお役所ゾーンへ。
ここでは、民族衣装とビジネス鞄を格好良く着こなすブータン人男性がたくさんいました。以前、それだけでトンサ・ゾンのことを書いてしまったほどです(詳しくはこちら:「ブータン民族衣装・ゴ男子」)
そして、ゾンから見た、マンデ・チュ(川)。
この川に沿って、南下していくとゲレフにつきます。