2020年06月15日

寺院修復と人々の心意気

 こんにちは。クズザンポラー。ブログをご覧いただき、ありがとうございます。
先月の5月21日はアシ・ケサン・チョデン皇太后の90歳のお誕生日で、第三代国王のお妃様であり、現在の第五代国王の祖母です。このブログでもご紹介しました()。


2019.03
(yellowより。2019年3月のカレンダー)
左から第五代国王陛下、国王の祖母様にあたるアシ・ケサン・チョデン皇太后、皇太子、王妃様


1972年に第三代国王は43歳でご逝去されましたが、その後も皇太后はブータンの国のために寺院建設や修復、病院などを建設されてきたことが知られています。

そのリストの一部を知人が紹介してくれました。

1961 Started Semtokha Rigzhung Lobdra[シムトカ・ゾンにゾンカ語研究所を開始]
1965 キチュ・ラカンに新堂グル・ラカン建設[パロ、キチュ]
1970 ケサル・ラカン Khesar Lhakhang お寺建設
1974 Langchen Payge Singye Chorten 仏塔建設[パロ、タクツァン]
1977 お寺 Demchok Khorlo Dompa Lhakhangを建設[プナカ・ゾン] 
1981 弥勒堂 Jambayang Lhakhangを建設[プナカ・ゾン] 
1983 Kagong Phursum Lhakhang お寺建設[ブムタン]
1988 Peldhen Lhamoi Neykhang お寺建設[ブムタン、クジェ]
1993 Phurbi Lhakhang お寺建設[パロ、ササムチョルテン]
1996 サンドぺルリラカン お寺建設[ブムタン]
2001 Dawakha Phudrup Pema Choling Goenba お寺建設
2005 Peldhen Lhamoi Goenkha お堂建設[パロ・ゾン]
2005 グル・ラカン 小堂建設[トンサ・ゾン]
2006 Ngelung Drechaling Lhakhang お寺建設[フォブジカ]
2011 ブリ・ラカン 修復および僧房を新設[ブムタン、チュメ]
2011 チュンブ寺院を修復[パロ]
2012 Jabdho Goenba 僧院を建設[パロ]
2012 チョルテンラカンのお寺を修復[パロ、ボンデ]
2012 メモリアルガーデンを建設[ティンプー]
2014 イト・ゲンバ お寺を修復[パロ]
2015 Tashi Tsemo ZangdokPalriを再建[パロ、タクツァン]
2016 Dokar Silung Goenbaのお寺を復元
2016   タシゴマンの修復と復元。総数34におよぶ。
2017 国立眼科医院を建設[ティンプー]
2019 ドゥンツェラカン お寺を修復[パロ]


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(イト・ゲンバに犬を連れて参拝したときの様子)
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(イト・ゲンバ、修復前の様子)
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(タクツァン僧院の上、寺院群がある)
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(メモリアルガーデンはお散歩も楽しい)

これでも一部のリストでしかなく、その数はとても多く紹介できないほど。ご成婚されてから、長年サポートをされていることがわかります。

私はパロで暮らしていたので、特に寺院修復の話はよく聞いていましたし、皇太后のサポートが資金面だけでなく精神面でもその心強いサポートであるかを、町の人々が教えてくれました。
当然、修復には労働力も必要であり、伝統建築の寺院では装飾部分だけでなく土台となるホゾ継ぎでも手がかかりますが、それでも地元の人々が協力しながら現場を手伝う心意気の理由がわかりました。

観光でブータンを訪れれば、65年に建設がされたパロのキチュ・ラカンにあるグル・ラカン堂はほとんどの方が参拝し、ガイドさんがその時に説明するかと思います。
ぜひ、大きなグル・リンポチェ像を見上げながら、お祈りをしてみてください。

心が落ち着く空間であり、その理由もわかるような気がします。

:イトゲンバ、また行きたいな

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2017年10月24日

シンゲ・ダへ参拝をする

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

先日、パロ谷にあるシンゲ・ダへお参りをしてきました。このシンゲ・ダは、観光で訪れる人はまだまだ少なく、お寺に隣接する小屋で3年3ヶ月以上の瞑想を続けるお坊さんもいらっしゃる、静かで厳かな場所です。


パロ谷のドゥプシャリ地区、街中から国立博物館方面へ向かう途中の分かれ道を進んでいきます。以前にこのエリアをマウンテンバイクで走った様子をご紹介しましたが(こちら)、昔ながらの伝統的な建築家屋や馬を飼っている農家も見られます。


ドゥプシャリ地区のドチュ(川)の橋の側にある大きなマニ車が分岐点となりますが、そこから未舗装の農道をドライブすること約15分、再び分岐を上ると大きな岩山が見えてきます。

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ここからは歩いて約20~30分くらい山道を登ります。この写真ではちょっと隠れてしまっていますが、岸壁に張り付くように白い建物が建てられています。

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この日、私のお供をしてくれたのは今回初めてシンゲ・ダに行くというブータン青年2名。早速、松林の中を歩いていきます。

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この日は午後3時ころということもあり、松林にはキツツキやマグパイ(カササギ)が10羽以上お出迎えをしてくれました。

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森の中も黄葉が始まったよう。

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途中、何箇所もマニ石が積み上げられており、シンゲ・ダが聖地のひとつであることを象徴しています。私たちも、マニ石の上に石を積み上げて時計回りにまわりました。

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結構、勾配がある上りが続きますが約20分ほどで到着。お寺が見えてきました。早速、私達の姿を発見した、

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番犬3匹が吠える吠える!うんうん、君たちは見事に役割を果たしている!でも、私達は悪いことをしないからお参りをさせてね。


シンゲ・ダは、お寺というよりもここにある洞窟が聖地とされ、その洞窟の上にお堂が建てられています。ここは8世紀にブータンに仏教を伝えたとされるグル・リンポチェが洞窟で瞑想をし、仏教の布教や人々の平安の邪魔をする悪霊を次々と倒したといわれ、その悪霊は岩となって姿を変えました。

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上を見上げると岸壁が続いています。この岩は金剛鈷の形をしているといい、この岩の中には宝(テルマ)があると信じられています。グル・リンポチェは、自身により後世のために多くの宝を隠しておいたとされます。彼の教えが時代に合うまで、きたる時が来るまで、自然界の中に多くの埋蔵経典や仏像などのテルマと呼ばれる宝を、岩山や洞窟、湖、ストゥーパの中に隠したそうです。


メインのお堂は2つありますが、重要なのはグル・リンポチェが瞑想した洞窟。そこにもお堂が建っており、中に案内していただくと、小ぶりの仏像がありました。


仏像は、グル・リンポチェが雌のライオン(獅子)に変身をした姿で、カンドゥ・シンゲ・ドンマと呼ばれます。シンゲ・ダのシンゲはライオン(獅子)ダは崖を意味すると一般的には言われていますが、もともとはシンゲ・ドンであるそうです。ドンとは顔のこと。この岩山自体が獅子の顔をしていることからその名前がつき、後に発音が変わるなどしてシンゲ・ドン→シンゲ・ダとなったそうです。

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(右側の建物がグル・リンポチェが瞑想をした洞窟と獅子の仏像がある)

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こういった伝説が残ること、そして静かな場所であることも理由なのでしょうか、現在ここには12名の瞑想の修行しているお坊さんたちがいます。雌の獅子の姿をしたグル・リンポチェの仏像は国内ではとても珍しいらしく、お堂の管理人さんの話を真剣にブータン青年たちは聞いていました。
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(カンドゥ・シンゲ・ドンマの足跡が岩山に残る)

こういったお話はブータン全土にありますが、パロ・シャバ地区にあるダ・カルポにもよく話が似ていますね。


私はシンゲ・ダには2013年に初めて参拝したのですが、ブログではお堂のことなどをご紹介していませんでした。当時、撮影した写真がこちら

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岩山と風景を見たら、今まで一度もやったことがないヨガの木のポーズに挑戦したくなったそうで、途端に不思議なパワーでできたそうです(笑)ブータン人恐るべし。

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シンゲ・ダの別のお堂にはグル・リンポチェの仏像があり、そこからは対岸のドゥプシャリ地区の田園と村々、そして山並みにはジェリ・ゾンの姿が見えています。シンゲ・ダの静寂な雰囲気のなか、ブータンの人々の祈りのぶんだけ、田畑の実りと人々の平安がここにあると感じました。


:僕もいったことあるんだよ

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2016年05月25日

サンチェン・チョコル仏教大学

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。シリーズのお話を書いています。

さてトゥルクに招待していただいたお寺、サンチェン・チョコルはパロの谷を見下ろす2,800mの丘の上に建っているのですが、

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ここは、以前ご紹介したブンドラ僧院へのトレッキング()の開始地点になります。途中のビューポイントからは、パロの町のメーンストリートや空港の滑走路をのぞむことができます。田んぼにも水が張り始まって、各地で田植えが各地で行われているのがわかりますね。

ちなみに、私の部屋の近くからこの大学を見た過去記事のお話は()、

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こんな感じで見えます。丘の上ですね。ブータンにフライトで着陸するとき、7割くらいの確率でちょうど旋回して、この仏教大学の近くを間近に窓から見えることがあります。

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たまにトレッキングに行くポニーも見かけますよ。サンチェン・チョコル(Sangchen Choekhor)僧院の入り口にある看板には、

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英語ではInstitute of higher studies in Buddhist Philosophy, Paro と表記がされていて、お坊さんの大学と言えるでしょう。

ブータンでは、各地方にあるお寺やゾン(城)で学びはじめ、その後、お坊さんもレベルに合わせて進学をします。お坊さんの大学として有名なのは、ここサンチェン・チョコルや、ティンプーにあるタンゴ僧院などがあります。仏教大学などで経典などを学ぶことを中心とする僧もいるし、ゾンなどで法要などを行うことを中心にする僧もいて、僧侶としての一般的な知識はすべてのお坊さんが知っているけれども、専門性が違う、畑が違うというのも、一般社会の一部を見ているようでおもしろいですね。

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(サンチェン・チョコル1)

一般のブータン人も、お坊さんを説明するときに、「サンチェン・チョコルやタンゴ僧院のお坊さんはエリート」と表現することもあって、あぁ、お坊さんにもやっぱりランキングがあるんだな、と思います。一般社会よりも、もっとはっきりとした階級付けがあるといってもいいのかもしれません。

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(サンチェン・チョコル2)

さらに、ブータンでは日本で言う高校や専門学校を卒業してから仏門に入るケースも多く、十代後半や二十代になってから出家し、僧になることも珍しくはありません。その場合は英語がとても流暢な方も多いですし、更にリンポチェやトゥルクとして高僧として知られる方の多くは、英語も勉強されていらっしゃいます。

トゥルクは、この仏教大学のすぐ側に住居があります。以前、ブンドラ・トレッキングに行ったときには、

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その住居の前で法要を行っていたお坊さんの姿や、

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トゥルクが可愛がっているパグのわんちゃんにも会いました!とっても人懐っこい子でしたよ。

一般的に、そんなに簡単にトゥルクにお会いできるわけではありません。というのも、現在は、仏教大学で勤勉に励んでおられる立場であり、その授業のタイミングや勉学の量も、試験などもあります。その他にも、奉仕活動のようにコミュニティに関われたり、様々な場所からもご招待があったりするため、多忙な生活です。

偉いお坊さんに会う、というよりかは謁見する、お目にかかる、と言った方が適切ですね。そして、トゥルクのいらっしゃる建物の別室で、時間になるまで待っている間に写真を見せていただいたのは、

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これは、トゥルクが4歳の時にテルトン、ドゥクダ・ドルジの生まれ変わりであることを正式にブータン政府と仏教界からジェイ・ケンポにより認定された証でしょう。

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こちらの中央にいらっしゃるのがトゥルクで、10代になってからのお写真かな。その他にも、多くのお写真がありました。日本に訪問されたときのものもありました。

どんなことをお話すればいいのかな、失礼にならないかな、とドキドキしながら待ちました。

続きます。


:僕も今度おいでってお誘いいただいたんだよ~
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2016年03月11日

ブータンで迎える、5年目の東日本大震災

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

東日本大震災から五年目を迎え、この震災をいつも忘れるわけにはいけませんが、本日はよりいっそうの哀悼の意を表さなければいけない日です。

ブータンでは、哀悼の気持ちや誰かを偲んだり、平和・平安を願うときにはバターランプの灯明をともして願います。ブータン人の同僚にバターランプを捧げたいと言うと、「キチュ・ラカンに行こう」と誘ってくれました。

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パロ谷にあるキチュ・ラカンはとても有名で、ブータン最古のお寺のひとつとされ、ガイドブックに記載される場所であることはもちろんながら、ブータンの人々にとっても特別なお寺です。ブータンへ仏教をグル・リンポチェが伝える以前の7世紀に建てられたキチュ・ラカンの歴史は、ブータンの人々の歩みでもあります。

この時期は、桃の花が咲いてとてもきれいなんですよ。

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日本の源平桃とよく似た桃で、同じ1本からの幹で淡い白ピンクと濃いピンクの花を同時に咲かせた優雅な姿で、この桃は首都ティンプーのタシチョ・ゾンにもあります。ブータンの景色とよく似合いますね。

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ここには八重桜もあるのですが、あと1ヶ月で開花でしょうか。わんこの春眠はどこでも平和の象徴ですね。

いつもならすぐにお堂に向かうのですが、今日はなんだか気持ちがすぐに落ち着かず、外壁にあるマニ車を回していると、お参りをしているおばあさんが手招きをして一緒に来なさいとジェスチャーで示してくれて(ろうあ者のおばあさんのようでした)、一緒にお寺の周りをゆっくりと三周してからお堂へ向かいました。

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ゆっくり無心で歩くだけで、気持ちが落ち着きました。

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一年中、実をみのらせているという神聖なみかんの木の横で靴を脱いでから堂内へ。

今日はブータンの皇太后様が1ヶ月続けられていた法要の最終日であり、堂内には特別な飾りが施されていました。供物を捧げ、五体投地で祈り、そして手を合わせ、あの日のこと、そこから五年を経て心の傷がいえなかったり、新たな困難に面している東北のことを想いました。

そうすると、お坊さんが、通常では空けることがない本堂をあけてくださいました。お坊さんは、皇太后様の法要の最終日であるし、そしてあなたにとって大切な日だから、とおっしゃてくれました。

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その静謐なる空間。重厚なつくりであるだけでなく、ブータンの人たちが仏教の教えに基づき絶え間なく一千年以上もこの地で人々の平安を祈り続けたエネルギーが、時を越えて古いお堂の中にぎゅっと詰まったような力を感じます。

私が思う感じる福島のお話は、今までもこのブログでつれづれと()書いていますが、私はずっと、今すぐ自分は何も出来ない、とモヤモヤしていた気持ちでいました。

自分はこれでいいのだろうか
友人たちは、今も現場での作業や復興に関わることをしているのに
間接的にでも出来ることはたくさんあるのではないか
自分が育った場所から離れてそれでいいのだろうか

そんな気持ちを抱えていました。私には、ブータンの人たちに質問を受けても

原子力発電所のこと、それが地震と津波により制御がきかなくなり、土地が放射性物質で汚れたこと。廃炉作業には何十年とかかること、そのすぐそばには第二原子力発電所もあること、帰還できるようになるのか、なるならするのか、避難先で定住するのか、他の場所を探すのか。

どうやって説明していいのかがわかりませんでした。

でも、ブータンの人からは、

まずは人を思いやることが大切で、それを忘れなければ自然と行動にいつかは繋がっていくから

と教えられました(こちら)。人間も自然も、今も昔も、切り離して別々に捉えることはできないということ。
「何もできなくはない」ということ(**)という記事を、昨年のネパール地震の後に書いたときに、少し自分でも違う考え方ができるようになったと思いました。

そして、学生の時にインドのマザーテレサの家で知しった、マザーの言葉。

大切なのは、私たちがどれだけの行動をするのではなく、それをするのに、どれだけ愛を注いでいるかです。
大切なのは、私たちがどれだけ与えるのではなく、それを与えることに、どれだけ愛を注いでいるかです。

最初に「相手を思いやる」ことからはじまり、その気持ちがいづれは行動になること。今はできなくても、期が熟して行動できるときも来るはずです。一人ひとりができることには違いがあり、違うからこそ多角的に手を差し伸べることができ、サポートが細く長く続いてより深い支援になることもあります。

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(本日のニャンコ)


だから五年前のことを忘れないことが大事であり、これからまたどこかで同じような災害が起きる可能性があることも、忘れず、万が一の時にどうすればいいのかを伝えていかなければいけない。

そんなことを想いながら、お堂をあけてくださったお坊さんにお礼を言うと、あれ?どこかでお会いしたことがあるような・・・

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(2015年 パロ・ドムチェ祭にて)

もしかして、昨年の秋のパロ・ドムチェ祭のときに、黒帽の舞いを踊ってませんでした?と訪ねると、今年からパロ・ゾンからキチュ・ラカンに移動になったとのこと。ブータン人同僚からは「あの衣装を着て顔がほとんどみえず、大多数の状態から、よくお坊さんを判定できるほど見ていたね」と驚かれました・・・。

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(帰り道の田んぼ脇に咲いていたサクラソウ)

さらに、本日のラッキー&ミラクルはもう一つありました。キチュ・ラカンに参拝する前に、お線香やお供え物を買うために町のお店に行くと、タクツァン僧院の側に小さな建物があり、そこにはたくさんのバターランプを備えられていたり、洞窟があるのですが、そこを管理しているお坊さんに声をかけられました。

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お坊さんが「これからタクツァン僧院に戻るので、私が108のバターランプをあなたの代わりに灯しておきます」とおっしゃってくれたので、バターとお線香を買ってお渡しし、お願いしてきました。今度は先ほどのパターンとは逆に、お坊さんが私のことを覚えてくださっていたということに、びっくり。

そして、この日のために一緒にキチュ・ラカンに参拝してくれた同僚もろうあのおばあさんも、本日再開した二人のお坊さんも、特に私が深い理由を言わなくても、一緒に祈ってくれたという心優しい気持ちを、日本の皆さんにも届いて欲しいなと思いました。

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(町中から見たパロ・ゾンと春の訪れ)

本日は、心静かに過ごしたい夜です。

:僕もね、早春を感じながら過ごしました

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2015年07月21日

オラタンからキチュへのハイキング

 こんにちは。クズザンポラー。

いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。友人に勧められていたパロ谷のハイキングルートがあり、ずっと気になっていたのですが、先週このルートを歩くことができたのでその様子をお伝えします。

タクツァン僧院へ行く際に、パロの町からキチュ・ラカン方向への道路を走ると右手側に広がる、森林と丘の上を歩くイメージです。ハイキングは、パロ病院があるオラタン地区からキチュ・ラカンの丘の森林エリアまでを歩く約2時間のルートで、歩きやすく難易度は高くありません。ホテルで言うと老舗オラタンホテルから、ナクセル・リゾートへの分岐点エリアまでを歩きます。

ルート的にはオラタン側からスタートした方が登り坂が少なくお勧めですが、今回は逆ルートから歩きました。

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まずは、↑ キチュ・ラカンの後ろに広がる丘の上にある、ナクセル・リゾートへの道の看板表示がある周辺に、小さな仏塔(チョルテン)とくるみの木がある所からハイキングがスタートです。

田んぼのあぜ道を数分歩くと、すぐに森の中に繋がる小道があり、丘の上へ登っていきます。歩くこと約10分で、

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(この仏塔から見たパロの町。写真の右に縦に流れているのがパロ川で、町からタクツァン僧院へ向かう際に右手に見える)

今の季節は森も田も生き生きとした緑色に染まり、とっても美しく、生命力を感じます。一般的には、ブータンの旅行のベストシーズンは、秋(9月末~11月)と春(3月~5月)と言われるのですが、私はこの夏の時期も強力におすすめしたいのです!

更に歩くと、外観がアンティーク調の雰囲気がある建物を発見。

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(テンチェン・ゲンバ)

ここは、テンチェン・ゲンバ(Tenchen  Goemba )というお寺でした。

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お坊さんに聞いてみると、このお寺は歴史のあるお寺で、峠チェレ・ラ近くにある尼僧院キラ・ゲンバと同じ時期に同一人物のお坊さんによって建てられた由緒あるお寺ですが、現在、修復を待っている状態だそうです。ブータン内には多くの寺院があり、政府は各県にある修復必要なお寺をリストアップし、どのお寺から修復をするかを予算を組んでいます。このお寺は2011年秋におきた地震の影響もあり修復が必要ですが、政府の許可と予算が下りるのを待っている状態で、現在は十数人の少年僧が別棟に僧房を移して暮らしているそうです。

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(テンチェン・ゲンバの中庭)

修復がされたら内部入場も出来るようになると思いますが、昔のままの建物としても興味深いお寺でした。お寺の周りをまわって、新しく仮住まいをしている僧房の近くを通ると、

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少年僧たちが楽器の練習と、お供え物トルマを作る練習をしていました。

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チベタンホルンは二人で同じ節を一緒に吹いたり、まだそのレベルに達していない場合は一人が手拍子を打って、どのくらいの長さで吹くのかをリズムをとる練習をしていました。これ、なかなか難しくて息が続かないと思います。聞いていると、「あ~これ、ツェチュ祭とか法要のときに聞いた~」というリズムで、基本となる部分は同じなんだなと気付きました。

このお寺を過ぎると、また別の丘に繋がりなだらかな坂道を下っていくのですが、ここからは

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(桑の実、マルベリー)

ベリーの森でした。この1枚目のベリーの写真の実の名前がわからなかったのですが、ブータン人の友人はこれを食べたいばかりに、昔は学校の授業をサボって採りに行ったことがある、といっていました。

このほかにもスグリ(グースベリー)があったり、ローズヒップの群生がありました。ブータン産のローズヒップのお茶やオイルなどの製品を見たことがないのですが、こんなにいっぱいあるのに・・・ローズヒップはチリ産が有名ですよね。ブータン産、どうなんでしょうか!?

更に進むと尾根上の丘になり、ここから再度パロ谷の美しい風景がのぞめますが、

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一番景色が場所の写真を撮り忘れるという失態をしました・・・・が~ん。。すみません

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パロの町並みを見下ろしながら、ゆるやかな丘の上のトレイルを歩くのはとっても気持ちが良いです。

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牛もやってきましたが、このルートは車道がメインになる前は村人がよく歩いていたようで、今でもしっかりとした道が残っているので歩きやすいです。

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(写真の中央がドンジャ・ゴンバ)

林檎の果樹園を見ながら、14世紀に建てられたドンジャ・ゴンバ (Drongja Goemba )が見えたら、ここからゴールまでは約15分です。このあたりの風景は、お寺を中心にして昔ながらの建築の伝統的な民家がなだらかな丘陵地帯に建てられていて、懐かしさを感じる美しい村ですね。

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そうして、

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(オラタン・ホテル、正面玄関は反対側になります)

オラタンホテルに到着します。ブータン国内でも老舗のホテル、今でも公定料金内で宿泊できるホテルリストの中では、パロでは宿泊数ナンバーワンです。

私が初めてブータン旅行に来たときは、このオラタンホテルに泊まりました。あの時は、まさか近くにこんな気持ちのよいハイキングができるルートがあるとは思いつきませんでした。

ハイキングは、通常「XXXハイキング」など通過点や峠、寺院、地名にちなんだルートの名称があるのですが、ここはあまり有名ではなく未だみんなが共通で使っている名称が無いので、何と呼びましょうか(笑) ブータンの友人は「ドンジャ・ゴンバ、ハイク」が良いといいますが、私は「オラタンからキチュへのハイキング」と呼びたいと、意見が一致しません 

このルートは雨が多い時期に雨が降ると、ハイキングをオラタン側からはじめた場合、最初の約10分程度のエリアは赤土で滑りやすいので、ガイドさんと相談して怪我の無いようにハイキングを楽しんでくださいね。

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:あれ、僕はお留守番だったの~


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